止められるの? 止められないの?
それでもぼくはきみを――
046:花はいつか枯れてしまう、それも瞬きの間に
ライはうろうろと学園内をうろついた。記憶や過去のないライには当然知己もいないからすることがない時間は倦ませるばかりだった。同じ軍属である枢木スザクなどは学園に在籍しながら軍属として戦闘機も駆る。及ばずながら同じ軍属としてのライにスザクは先輩風を吹かすこともなく友達として接してくれる。事を成せばすごいと驚いて褒めてくれるし失敗しても大丈夫だと慰めてくれる。スザクは元来そう言った性質なのかもしれない。右も左も判らず警戒し続けていたライの壁を取り払い、しかるべき団体も紹介してくれた。それが現在ライが籍を置く軍属で『特派』と言う別称で呼ばれる部署だ。侮蔑の意味さえ含む呼び方だが所属している当人たちが大して気にしていない。感想としては実機演習や実戦の作戦に戦力として数えられていないということをお互いに愚痴りあうだけである。研究開発部署であるから実戦力に数えられないのは当然だが、兵器の良し悪しは使ってみなければ判らないし整備も必要だ。だから事あるごとに責任者であるロイドが後方支援と言う名目で食い込んで、隙あらばランスロットと名のついた戦闘機を繰りだそうとする。このランスロット、高性能すぎてスザクしか使えないというから出来がよすぎるのも問題だなぁなどとライは思った。かく言うライも専用機をいただいてしまっているのでそのあたりの事情には寛容であるべきかもしれない。
花壇の花が吹いた風でざァと揺れた。色とりどりの花びらが宙を舞い吹き上がっていく。雪が降るのに似ている。ライは耳と口にだけ入らないようにしながら花吹雪の中を歩いて行った。目的などない。屋上へ行こうか、とようやく思いたってライは階段を上がった。屋上へつくと今度は高所の風が吹く。制服の隙間に引っかかっていた花びらが洗い流されるように飛んでいく。そう言えばスザクにも以前一度この屋上ではち合わせた。それからは約束もせず二人の逢瀬は屋上という暗黙のルールができた。事前の約束などない。待ちぼうけを食わせたり食ったり、運任せの逢い引きだ。しばらく前にスザクの方から告白してきた。
君がすごく綺麗に見えたんだ。
その、僕と一緒にいてほしいんだ、出来ればずっと。
抱きたいとも思うんだ、ごめんね、気持ち悪いこと言って。
ライはそれにキスで応えて二人は屋上で睦みあった。
「あぁ、今日はいるんだねぇ」
ぱぁと華やぐ笑顔が想像できる弾んだ声にライが振り返る。学園の制服に身を包んだスザクがいた。問題は携えているものである。学園指定の通学鞄のほかに何やら紙で包んだ…切り花である。
「スザクか…なんだか妙なものを携えてるな」
スザクは鞄ごと持ち上げて目線の位置をあわせてすぐに、あぁ、と納得したように頷く。たったった、と足取り軽くライの隣へ並ぶ。立っているのも不自然であるから二人は日差しの射す校舎内へ続く階段をかこう壁に背を預けた。屋上へ続く階段はそれだけが独立していて平坦な屋上にそこだけトンと積木でも乗せたかのように階段があり、風雨にさらされぬよう扉の開け閉めができるようにしてあり、壁で囲われているのだ。日差しの当たっていたそこはポカポカと温かい。
スザクは鞄を脇へ置くと紙の包みを解いた。鶯色の穂をつけた枝ぶりの好いそれと霞草、ライに判るのはそれくらいだ。あとは金雀枝や山査子か。この学園には華道部もある。イレヴンと名を変えた日本人の文化を学ぼうという有志の部活動だ。温室もあるから季節や旬に関係なく様々な花が咲く。白梅や桜もライは見た。
「スザク、君は花をどうするんだ。部屋にでも飾るのかい」
「うん、花壇の整理を手伝っていたんだけどね…花を間引いた残りものなんだ。活け花って知ってるかい。活けようと思って。そうしたらルルーシュやナナリーにもおすそ分けして…」
「イケバナ?」
ライにとって花は花瓶にさしておくのが一般的だ。活ける、という言い回しがどこか新鮮だが懐かしくもある。
「なんだか聞いたことがあるような…あれだろう、踏んだら痛そうな所へ鋏を入れた花を刺していく、あれ」
「知ってるの? だったら君は日本文化に詳しいか、日本人の関係の可能性もあるね」
スザクはむぅ―と唇を尖らせて考え込む。ライは霞草をツンツンと指でつついた。白くて小さな花だ。鶯色の穂のついた枝ぶりと言い、金雀枝などの色合いが惹き立ちそうだ。心得があるものがさせばこれぞと上手くいきそうでもある。
「勝手にIDをつくっちゃったけど、大丈夫かな?」
「記憶を失くしてから知識として知っているだけかもしれないから心配はいらないよ。そもそも現状として日本人は花を生けて楽しんでなんかいられないのが実情だろう」
スザクが苦しげに眼を眇めて口元を引き締める。スザク自身も人種差別の被害を受けている身である。ライはスザクのそれを見ないふりをして花に目を据える。綺麗だ、と思う。だがライが花を持ち込まないのは手間を惜しむ意味もあるが散るのを見たくない想いもある。咲いている花の花びらが開き切って絶頂に咲き誇る、その後の朽ちて行く様を見るのが何故だかいたたまれない。
「そうだね。日本人を名乗る人たちに花を見て楽しむ余裕はない」
何でも真正面からすべて受け取ってしまうのがスザクの良し悪しだ。それは彼の戦闘時の癖にも表れていて、複数相手に戦う際、スザクはその複数を一つととらえて戦う。ライは逆の性質で集団を散らばらせてから確実に一個一個撃破していく。
「スザク、そんな深刻にとらえないでくれよ。僕の軽口は謝るから泣かないでくれ」
「泣いてないよ。………ライは、花は嫌い?」
「嫌いじゃないけど…苦手ではある、かな」
「苦手?」
虫がつくから嫌とか? 花粉症かい? スザクが思いつくままに理由を連ねるのをライはひらひらと手を振って否定しながら笑った。
「違うよ、そうじゃない。咲いた花が散るのを見るのが嫌なんだ。花弁が落ちて花芯が剥き出しになって朽ちて行く。一度綺麗な姿を見ているとどうしてもそれが哀れと、言うか。片付けるのが嫌なだけかも。花は散るものだろう? だからその、亡くなって行ってしまうって言うのが…自分と重なって。もしかしたら記憶の喪失は僕と言う個体の消滅への道筋なのかもしれないと思って。ほら、痴呆みたいに」
あれも幼児返りってあるんだろう。年配の人が子供みたいに振る舞うあれだよ。
「そう考えると人生って円環なのかもしれないね。生まれた瞬間の状態に戻ろうとして、戻ったらきっと死ぬんだよ」
ぱん、と乾いた音がした。スザクの平手がライの頬を打つ。類い稀なる身体能力を有するスザクは腕力もあるから明らかに相当な手加減の上での平手である。きらきらとライの亜麻色の髪が日差しを乱反射した。毛先は金色に融けて瞳の色が群青から薄氷へと変わっていく。当たる日差しの加減でライの髪や双眸は様々に色を変えた。白い頬が紅く腫れる。拳でもなく平手で、その上での手加減にライもむっとした顔を向ける。お互いに不服や不満もあらわに睨みあう。
「一体なんだ。僕は」
「咲き続ける花なんてないし、それは花じゃないと僕は思う。そっけない蕾から華やかに花開いて、その花びらを落として朽ちて行く。誰だってかなうなら綺麗なところばかり見ていたいものだと思うよ。でも人ってそうじゃないだろう? 僕は君に死ぬなんて言って欲しくない。君の記憶は絶対に戻るよ。少なくとも僕はそう信じてやってきてるつもりなんだから。君を軍に誘った僕が言うべきじゃない言葉だと思うし、判ってるつもりだけど」
スザクの眇めた眦から透明な雫が滑り、火照って赤らんだ頬を濡れ光らせた。
「花が朽ちるように簡単に君を失わせたりしない。君が朽ちるというのなら、僕がそれを止めてやる。止めて見せる!」
だから死ぬなんて言わないで!
スザクが体当たりのようにライにすがりついてくる。学園の制服はたいていの体つきを細身に見えるようデザインされているから隠されていたスザクの体の強さにライは少し驚いた。軍属として実戦経験もあるとなれば作られた体や強さがあって当然であるのに、制服に身を包むだけでそれは隠されて見えなくなる。なだれ込むようにライが仰臥するとスザクは覆いかぶさってくる。そのまま二人は抱擁し口付けを交わした。
何も持っていないと自覚のあるライの唯一の持ち物はこの体だけだ。スザクは優しく労わるようにライの体を抱擁する。拘泥すべき過去のないライの体は働きかけに対して素直に拓いて行く。ライもそれに抗う気はない。スザクの熱が流動的に流れ込みライの熱がスザクを犯す。循環するように二人の触れあう場所から境界線が曖昧になっていく。触れて擦れる感触や摩擦も感じない。皮膚一枚がどれだけ薄いかを実感する。スザクはライを守るように優しく、時折意地悪く抱擁を繰り返す。口付けもついばむように何度も繰り返した。小鳥のように少しずつ熱の侵蝕が始まっていく。だがけしてそれは不快なものではない。ライがスザクに、スザクがライに、好意的だからこそ生じる融解だった。骨で護られていない腹部をスザクがぐっと圧す。咳き込みながらライは恍惚とした表情で笑んだ。スザクの手がそのまま皮膚を通り抜けてライの内臓を掴む感触さえ想像できる。
嬌声がほとばしる前にスザクが口付けてライの口を塞ぐ。潜り込んでくる舌の潤みは豊かにライの口腔を濡らした。ライも同時に情欲に濡れた舌を絡ませ吸い上げる。
「初めて?」
「覚えている限りではね」
「ライは花みたいだな」
ライは何も言わない。スザクは独白だと判って続けている。
「花が散るように君は消えてしまうかもしれない。記憶を取り戻したら。誰かが関係者だと名乗り出たら。花が刹那に散るように、君は次の瞬間にもいなくなってしまうかもしれない。それが僕は怖いよ」
それにさ。
スザクがくすっと笑った。
「花が咲く植物はたいてい実をつける。種子を宿すんだ。だから記憶を失くした君がいなくなっても、記憶を持った君に僕は出会うよ、きっと。そうしたらまた、一緒にいてくれるかい」
そうやって次へつなげていけたらいいのにね。
「ライ、僕たちは軍人だ。いつ死んでもおかしくない。だから――君の、後にこだわらない潔さを僕は見習うべきなのかもしれない。でも僕は、君と出会えてよかったし、君の全てを見てみたくもある。花開くさまかもしれないし朽ちて行く様かもしれない。でも僕はそれが見たいんだ」
いつか枯れる日が来ても。
僕はそれを受け入れるだろう。
「…スザク、君はやっぱり凄い男だな」
「そうかな? ルルーシュあたりに話したら気色悪いとか言われそうだけどね」
プッと同時に噴き出して笑いあう。スザクが朗らかに笑い、ライも肩を震わせてクックッと痙攣する腹部を晒すように仰臥した。そのライの痩躯をスザクが抱きしめる。
「大好き」
「僕もだ」
唇が重なる。そこから熱がとろけて行くような恍惚にライは酔った。
《了》